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2023年9月にC代ちゃんと横浜みなとみらいホールにオーケストラと

ピアノの演奏会に行ってきました。

この日ラフマニノフのピアノコンチェルトを2曲も聴くことができました。

ピアニストは上原彩子さん。素晴らしい演奏会でした‼️

C代ちゃんのおかげで久しぶりに心豊かな日を過ごすことができて

幸せ💕

また、一緒に行きましょうね。

先日、3歳の時から我がピアノ教室の生徒さんだったC 代ちゃんがもうそろそろ先生の処では

小さい生徒さん達のクリスマス会が有るからと手作りのシュトーレンと可愛いチョコレート

を届けてくれた。C代ちゃんは今立派なパテシエに成っていて時々試作のケーキを届けてくれている。お菓子の入ったクリスマス仕様の可愛い紙袋にはカードが入っていて、その中に当時3歳のC代ちゃんとわたしが交わした約束がまだ果たされていない事が書かれていた。

本当に申し訳ない、すっかり私は忘れていた。当時のC代ちゃんの夢はパテシエに成ることと

私とオーケストラを聴きに行く事だったのだ。こんな素敵な約束を忘れるなんて。

ごめんなさい❗️  来年の頭に必ず素敵なコンサートを見つけるので一緒に行きましょう。

今C代ちゃんは25歳。長い間お待たせしました。

m.Konagaya


*C代ちゃんには本当に沢山の思い出が有る。彼女が3歳に成ったばかりの頃音符の大きさと

ピアノの鍵盤の何処にドの音が有ってどの様に音が並んでいるか覚えて貰おうと5線譜を使って丸を置いていく練習をしていた時、理解力の優れていたのと身長があり体幹のシッカリしたC代ちゃんをスッカリ勘違いした私は「ではC代ちゃん、音符の名前(読み方)をその丸い音符の下に書いてみましょうか?」C代ちゃんは「C代は小さいから未だ字が書けないの!」

昔からC代ちゃんに失礼なことばかりでごめんなさい。

今まで我がピアノ教室の生徒さん一人一人シッカリと思い出が有り忘れられません。

約束を忘れてごめんなさい‼️


町内会の皆様ありがとうございます。

この3年間一度も町内会コーラスの練習ができませんでした。

しかしこうやって毎年素敵なお花を下さいます。皆様のお気持ち

が本当に有難いです。来年こそは皆様と元気に集うことができ

ますように祈ります。

今年も皆さん元気に発表できました。

この3年というものマスク生活に慣れ、あらゆる規制に命あっての

物種と驚かなくなった。年1回のこのコンサートに素敵にお洒落を

して出演できるって素晴らしい。会場のスタッフの皆さんにも感謝。


2000年から初めて今年で22周年奇跡的に一度も休んだことがない。

このコロナ禍の中なんとか続けることができた。よく頑張りました。

今年もありますよ。

2022年11月13日(日曜日)12:30開演 逗子文化プラザさざなみホール

テーブルをセッティングしてワインと軽いお食事を出して、参加なさる方

にはリラックスして演奏して戴きたいので出演資格は20歳以上。

しかしここ2年間はコロナ禍でお水にまで規制がかかり大変でした。

少しづつ規制も緩んでほしいが、最近18歳で選挙権がいただけると条件も

いろいろと変わって今年から18歳以上OKとしました。(お酒は禁止)

出演なさりたい方、あらためてピアノをお勉強なさりたい方募集中です!

かなり自由です。片手しか弾けない? 大丈夫です。連弾を致しましょう。

如何様にも素敵にできます。


*健康・栄養クラブのM-igeneミジェーネと今回コラボ企画をしています。

m-igene.jugem.jp こちらもどうぞご覧ください。

(miki konagaya)




これは速さを表す言葉です。普通、楽譜の最初の小節の上あたりに書かれて

います。いわばその曲のテンポを決めてしまう言葉です。

速さの順番で言いますと、遅い方から数えて3,4番目くらいに位置します。

adagioアダージョの言葉としての意味は「ゆっくりと、静かに」あるいは

「注意深く、慎重に」と幅広いものです。

例えば誰かが大きな壺を床の上に置くとしますね、するとそばにいる人は

その壺を破ってしまわない様に心配して「Adagio, adagio! (ゆっくり、ゆっくり

落ち着いて!)」と声をかけます。

adagioという言葉はad agio(楽に)から成り立っています。adはもともと

aという前置詞なのですが、次に来る言葉がagioと母音で始まる言葉ですから

adとなります。agioという言葉は「気楽、安心、寛ぎ、ゆとり」と言った意味

を持っています。それにadをつけて「〜に、〜風に」となる訳です。

音楽用語でadagioと言えば大体テンポは想像がつくのですが、こんな意味を

持った言葉だと思うと演奏する上でゆとりと幅が生まれる気がします。

最近そう言えば「Agioアージョ」というなのイタリアンレストランがありました。

「ゆっくり寛いでくださいね。」って言われているみたいですね。

     ・・・私のParola della musicaのノートから settembre, 2014


* Adagioと言えば有名なAlbinoniアルビノーニの曲がありますが、これをポップ

にアレンジしていろんな歌手が歌っています。有名なところだとIl Divoイル・

ディーヴォでしょうか素晴らしいです。もう一人女性の歌手でLara Fabian

ララ・ファビアンが歌っているのも素敵です。


皆さんは「テンポ」と聞くと、あぁ曲の速さを言っているのだなと直ぐに思い浮かぶ

ことでしょう。その通りです。しかし、音楽用語以外ではとても沢山の意味を持って

います。もちろんこの言葉もイタリア語ですが、例えばお天気のこともtempoといい

ます。bel tempo(ベル テンポ)と言ったら「よい天気・晴天」ことですし、brutto tempo

(ブルット テンポ)と言ったら「悪い天気・悪天候」のことです。

速さのこととも関連しますが、時間のことを表す時もこの言葉を使います。tempo libero

(テンポ  リベロ)と言えば「自由に使える時間」つまり「暇」の意味です。音楽用語で

もう一つ。よく「第一楽章」とか「第二楽章」とか言うでしょう・・・それもtempoを使い

ます。例えば、il terzo tempo(イル テルツォ テンポ)これは「第三楽章」という意味です。

あっそうそう、サッカーでも使いますよ。1試合の中で前半をprimo tempo(プリモ テンポ)

後半をsecondo tempo(セコンド テンポ)といいます。

因みに我が家の猫たちはbrutto tempoの日はDormono tutto il giorno!(一日中寝ています。)

     ・・・・メトロノーム新聞より  dicembre, 2001


ここにもいます。

この2つの言葉は曲を演奏するときのtempo(速さ)に関することばです。

ritardandoは遅れるというritardareが変化して〜andoという語尾が付き

「〜しているところ」とか「だんだん〜する」という意味になります。

楽譜にritardandoと書かれていたらその時点から「だんだんにゆっくりする」

あるいは「だんだんにテンポを穏やかにする」という風に演奏すれば良い訳です。

tempoは別の意味もありますが、ここでは「速さ」のことです。

ritardanndoと書かれているのが曲の終わり近くでなければ、その少し先に必ず

a tempoと書かれているはずです。これは直ぐに速さを元の速さに戻します。tempo

の前のaは前置詞で「〜に」という意味ですから、「今まで通りの速さに」と考えると

理解しやすいですね。

もう一つ同じ速さに関する言葉でtempo rubatoテンポルバートという風に書かれた場所は

どの様に演奏するかというとtempo速さをrubato(盗まれたという意味の形容詞)されたと

言う事ですから、「tempoのことはあまり考えずに自由に演奏」すればいい訳です。

     ・・・・メトロノーム新聞より mggio,2001

*tempoのことはあまり考えずに自由にって言うと大抵はゆっくりになります。

どうしてだろう・・・

piùピューという言葉は「もっと多く」あるいは「さらに多く」という意味を持つ

副詞でmossoモッソ「動く」あるいは「動かす」という意味の過去分詞ですが、

それを修飾しています。算数の足し算で「たす」という時もpiùと言います。

più mossoは「もっと多く動かす」つまりこれが「もっと速く」となる訳ですね。

音楽用語として決めた言葉ですから少しばかり無理がある様な気がしないでもありません。


menoメノという言葉は「より少なく」あるいは「さらに少なく」という意味を持つ副詞

でさっきのpiùとはちょうど反対の意味を持つ言葉です。

meno mossoは「動きをより少なく」となり「もっと遅く」になる訳です。

このpiùとmenoは他の速さを表す言葉や強弱を表す言葉にも同じ様に使うことができます。

算数の足し算で「たす」という時はpiùと言いますし、引き算で「引く」という時はmeno

と言います。この事を覚えてしまえば理解しやすいかも知れません。


そういえば海岸の通りを私のもうイタリアにお帰りになった先生と二人で車に乗って走って

いた時、先生が海を見て「mosso mare!」って仰ったのを思い出しました。

どういう意味か私が尋ねると「海の表面に白い波がたって少しザワザワとしている」つまり

「少し波がたって海が動いている(荒れている)のだ」と。波乗りの人たちの言うところの

「ウサギが跳ねている」状態の海のことらしい。

当時イタリア語初心者の私はmossoという言葉が何の過去分詞か想像もつかず、ただ音楽用語

としてしか思いつかない言葉がこういう風に日常生活の中で息づいていることが何だか

もの凄く嬉しくしかも驚きでした。

           ・・・メトロノーム新聞より 2000,3,3


*今これを書きながら当時を思い出しています。私が初めてイタリア語を教えていただいた

先生でB先生です。先生は今現在Piacenzaから30分くらいの場所Cstelsangiovanniに

いらっしゃいます。現在84才の女性です。先生の授業はイタリアの文化、現代事情、

日伊文化比較等ありとあらゆる処から授業の題材を拾ってこられます。まあ大変でしたが

とても面白い勉強をさせていただきました。今や人生の師匠と私は勝手に思っています。

学者でいらっしゃる先生は今でも時々は本を上梓されています。何年かに一回私は先生の元

を尋ねます。とてもお元気です。今回もコロナウィルスの件で先生にemailでお元気かどうか

お尋ねしましたが端的で皆元気でいると先生らしいお返事でした。この騒動が収まったら

またお尋ねしたいです。


  ・・・・Giocondaジョコンダ2からのつづき

ベアトリーチェは姉のイザベラの様に決して自分も肖像画を描いて欲しいとは

言わなかった。なぜなら大金持ちで地位も権力も持ち合わせた自分がダ・ヴィンチに

描けと言えば必ず彼は商売人だから描くだろうと彼女は思っていた、というのである。

彼女はダ・ヴィンチに本当に芸術的な仕事をして欲しかったのだと。後にダ・ヴィンチが

ミラノを離れ、他の地へ向かう途中小さな水車小屋で粉挽をしている若い夫婦に出会う。

この二人がジョコンダさんという新婚さんで、若い夫はこの有名なダ・ヴィンチに是非とも

自分の妻の絵を描いて欲しいとありったけのお金を持ってきて頼んだ。こともあろうか彼は

二つ返事でOKしたのです。これはどういう事かと言うと、このジョコンダの妻が

ベアトリーチェにとても似ていたからだとこの本は言っています。この本はベアトリーチェに

とても好意的です。ダ・ヴィンチの工房の弟子たちにも暖かい思いやりをかけ、自分を表に出さず

常に影から誰彼となく面倒をみると言っています。ダ・ヴィンチはこういう彼女に興味を持ち

、賢い女性だと少し憧れに似た恋に似た感情があったのだと・・・面白い話です。

確かに「モナリザ」については諸説いろいろとモデルについて言われています。

私は後にイザベラ・デステをダ・ヴィンチが描いたというデッサンをある本で見つけました。

しかしそれは本当に彼が描いたものか、弟子が描いたものか定かではなく、線のタッチから

ダ・ヴィンチ本人のものらしいと言われている、いわゆる素描の様なものです。私は奥ゆかしい

ベアトリーチェがこの偉大なレオナルド・ダ・ヴィンチの心の中に何か大きな影響を与え、姉の

イザベラは自分を描けかけと言いながら完成させて貰えなかった絵を残しそれでも音楽家への

影響だけでなくこんなところまで顔を出し(実際ダ・ヴィンチの周りの女性はこの姉妹おいて

他にはいなかった様です。)何かしらの影響を彼に与えたというアメリカ人の学者(作家)の

話をちょっと信じたい気がします。しかし、後にこの粉挽屋の妻、つまり「ジョコンダ夫人」の

肖像画が「モナリザ」と呼ばれて世界中を飛び歩き、今現在も謎の微笑みをたたえて我々の前

にいる。彼女は一体なんと言っているのでしょうか。

        ・・・・・メトロノーム新聞より  2002,8,20


*この記事をまとめてからかなり時間が経ちました。イザベラ・デステの絵は最近では本物と

認められ、現在はルーブル美術館に有るそうです。

今考えると「ジョコンダ夫人の肖像」の作者はとてもロマンチストに思えます。

当時のベアトリーチェの心情はもっともっと複雑だと思います。

しかしながら幼い時分から政治的権力の駆け引きで女子は皆親が結婚を決めている時代イル・モーロに愛人がいてダ・ヴィンチに肖像画を描かせているってこれ・・・恐ろしいな〜もう。

(参考文献:「ジョコンダ夫人の肖像」E・L ・カニングズバーグ作)



・・・前回のつづき

ある時期私は「モナリザ」にちょっとした興味をもっていました。

それは、よく言われるアルカイック・スマイルとかではなく、ごく単純に

その名前についてでした。イタリアではそれは「モナリザ」ではなく、「ジョコンダ」

と呼ばれているのです。ある日私は、図書館で子供向けに書かれた「ジョコンダ夫人の肖像」

というアメリカ人の書いた本を見つけました。かなり詳しく当時のダ・ヴィンチのこと

を調べており、レオナルド・ダ・ヴィンチという人は良く知られている通り絵画だけ

ではなくいろんな分野で類まれな才能を認められていますが、それにもう一つ彼は非常に

商才にたけていたのだと書かれています。彼は芸術家でありながら、物凄い数の弟子を

とり彼らをしっかりと仕事に使い、請負った大きな仕事のプロデュースもこなしている。

ここで先程のイザベラ・デステの話と多少繋がりがあるのは当時ダ・ヴィンチはミラノ公

のイル・モーロ(Ludovico Sforza ルドヴィーゴ・スフォルツァ)の元で数ヶ月間弟子を

連れて仕事をしているのです。このイル・モーロの奥さんがなんとイザベラ・デステの妹

ベアトリーチェ。イザベラとベアトリーチェの二人の性格は正反対。初めからマントヴァ

より大きな公国であるミラノ公の元に妹ベアトリーチェが嫁ぐなんて絶対に許せない。

姉は大変社交的、妹は控えめで体も弱い。ここでミラノに超有名な芸術家ダ・ヴィンチが

逗留していると分かれば姉イザベラはひっきりなしに妹ベアトリーチェのもとへ訪れる。

なんとしてもイザベラは彼に自分の肖像画を描いて欲しい。

                   つづく (やはりもう一回、その3まで)

            ・・・・メトロノーム新聞より   2002,8,20

*やはり2回では書ききれなかったです。この手の話はとても面白くつい長くなってしまい

ます。当時もそうでした。しかし全く異なった場所で知った歴史上の人物たちがまた意外な

場所で繋がっていた・・・これはもう楽しくてたまりません。

(参考文献:「ジョコンダ夫人の肖像」E・L・カニングズバーグ作)


最近調べものをしていて面白いことに気が付きました。

時代は遡って16世紀の話ですが、音楽の歴史はイタリアとは切っても切れない

深い関係があります。イタリアの北部でポー川の近くにマントヴァという街が

あります。その頃は小さな国のようなかたちでゴンザーガ家というお金も勢力も

持っていた人たちがマントヴァを支配していました。当時のマントヴァ公爵の

Fedelico II フェデリコ二世という人の処へお嫁に来た人がイザベラ・デステと

いってやはり有名なエステ家出身の人でした。この女性は実は音楽史上とても

重要な人で、様々な形で音楽家を育てたといってもよい人物でした。

ところが、先日イタリアの文化を学ぶ勉強会で、「マントヴァ」の街について

歴史を教わっている時、友人の一人が「マントヴァで、レオナルド・ダ・ヴィンチ

が描いたイザベラ・デステのデッサン画を見た。」と言い始め、イタリア人である

先生はそんな話は聞いたことがない・・・と。その時はボンヤリとしていた私ですが、

後で私の頭の中にしまい込んでいた話をだんだん思い出してきました。

              ・・・・・つづく

          ・・・メトロノーム新聞より 2002.8.20


*この話は長いので2回に分けました。この当時(18年前)から比べるとレオナルド・

ダ・ヴィンチのこともかなり詳しく世に知られるようになりましたが、謎の多い人です。

世界にも周期的にモナ・リザブームがやってきて、有名なナット・キング・コールの

「モナ・リザ」もニューヨークにフランス政府がモナ・リザの絵を貸し出し大人気に

なった当時はやった歌と聞いています。この不思議な女性は誰?