Gioconda ジョコンダ 3

  ・・・・Giocondaジョコンダ2からのつづき

ベアトリーチェは姉のイザベラの様に決して自分も肖像画を描いて欲しいとは

言わなかった。なぜなら大金持ちで地位も権力も持ち合わせた自分がダ・ヴィンチに

描けと言えば必ず彼は商売人だから描くだろうと彼女は思っていた、というのである。

彼女はダ・ヴィンチに本当に芸術的な仕事をして欲しかったのだと。後にダ・ヴィンチが

ミラノを離れ、他の地へ向かう途中小さな水車小屋で粉挽をしている若い夫婦に出会う。

この二人がジョコンダさんという新婚さんで、若い夫はこの有名なダ・ヴィンチに是非とも

自分の妻の絵を描いて欲しいとありったけのお金を持ってきて頼んだ。こともあろうか彼は

二つ返事でOKしたのです。これはどういう事かと言うと、このジョコンダの妻が

ベアトリーチェにとても似ていたからだとこの本は言っています。この本はベアトリーチェに

とても好意的です。ダ・ヴィンチの工房の弟子たちにも暖かい思いやりをかけ、自分を表に出さず

常に影から誰彼となく面倒をみると言っています。ダ・ヴィンチはこういう彼女に興味を持ち

、賢い女性だと少し憧れに似た恋に似た感情があったのだと・・・面白い話です。

確かに「モナリザ」については諸説いろいろとモデルについて言われています。

私は後にイザベラ・デステをダ・ヴィンチが描いたというデッサンをある本で見つけました。

しかしそれは本当に彼が描いたものか、弟子が描いたものか定かではなく、線のタッチから

ダ・ヴィンチ本人のものらしいと言われている、いわゆる素描の様なものです。私は奥ゆかしい

ベアトリーチェがこの偉大なレオナルド・ダ・ヴィンチの心の中に何か大きな影響を与え、姉の

イザベラは自分を描けかけと言いながら完成させて貰えなかった絵を残しそれでも音楽家への

影響だけでなくこんなところまで顔を出し(実際ダ・ヴィンチの周りの女性はこの姉妹おいて

他にはいなかった様です。)何かしらの影響を彼に与えたというアメリカ人の学者(作家)の

話をちょっと信じたい気がします。しかし、後にこの粉挽屋の妻、つまり「ジョコンダ夫人」の

肖像画が「モナリザ」と呼ばれて世界中を飛び歩き、今現在も謎の微笑みをたたえて我々の前

にいる。彼女は一体なんと言っているのでしょうか。

        ・・・・・メトロノーム新聞より  2002,8,20


*この記事をまとめてからかなり時間が経ちました。イザベラ・デステの絵は最近では本物と

認められ、現在はルーブル美術館に有るそうです。

今考えると「ジョコンダ夫人の肖像」の作者はとてもロマンチストに思えます。

当時のベアトリーチェの心情はもっともっと複雑だと思います。

しかしながら幼い時分から政治的権力の駆け引きで女子は皆親が結婚を決めている時代イル・モーロに愛人がいてダ・ヴィンチに肖像画を描かせているってこれ・・・恐ろしいな〜もう。

(参考文献:「ジョコンダ夫人の肖像」E・L ・カニングズバーグ作)



ピアノ教室/メトロノームの会

2000年に「メトロノームの会」と名づけて親睦会を 小さな生徒さん達とはじめました。 同時に「メトロノーム新聞」も発行し皆で持ち回り 編集長となり、なんでも書ける音楽情報掲示板を目指しました。 この名前をつけてくれた当時の皆さんも大人になり、 新聞も今はやっていません。20年経って少し形を変えて もう一度「メトロノーム新聞」を作ろうと思いました。

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