Gioconda ジョコンダ 2

・・・前回のつづき

ある時期私は「モナリザ」にちょっとした興味をもっていました。

それは、よく言われるアルカイック・スマイルとかではなく、ごく単純に

その名前についてでした。イタリアではそれは「モナリザ」ではなく、「ジョコンダ」

と呼ばれているのです。ある日私は、図書館で子供向けに書かれた「ジョコンダ夫人の肖像」

というアメリカ人の書いた本を見つけました。かなり詳しく当時のダ・ヴィンチのこと

を調べており、レオナルド・ダ・ヴィンチという人は良く知られている通り絵画だけ

ではなくいろんな分野で類まれな才能を認められていますが、それにもう一つ彼は非常に

商才にたけていたのだと書かれています。彼は芸術家でありながら、物凄い数の弟子を

とり彼らをしっかりと仕事に使い、請負った大きな仕事のプロデュースもこなしている。

ここで先程のイザベラ・デステの話と多少繋がりがあるのは当時ダ・ヴィンチはミラノ公

のイル・モーロ(Ludovico Sforza ルドヴィーゴ・スフォルツァ)の元で数ヶ月間弟子を

連れて仕事をしているのです。このイル・モーロの奥さんがなんとイザベラ・デステの妹

ベアトリーチェ。イザベラとベアトリーチェの二人の性格は正反対。初めからマントヴァ

より大きな公国であるミラノ公の元に妹ベアトリーチェが嫁ぐなんて絶対に許せない。

姉は大変社交的、妹は控えめで体も弱い。ここでミラノに超有名な芸術家ダ・ヴィンチが

逗留していると分かれば姉イザベラはひっきりなしに妹ベアトリーチェのもとへ訪れる。

なんとしてもイザベラは彼に自分の肖像画を描いて欲しい。

                   つづく (やはりもう一回、その3まで)

            ・・・・メトロノーム新聞より   2002,8,20

*やはり2回では書ききれなかったです。この手の話はとても面白くつい長くなってしまい

ます。当時もそうでした。しかし全く異なった場所で知った歴史上の人物たちがまた意外な

場所で繋がっていた・・・これはもう楽しくてたまりません。

(参考文献:「ジョコンダ夫人の肖像」E・L・カニングズバーグ作)


ピアノ教室/メトロノームの会

2000年に「メトロノームの会」と名づけて親睦会を 小さな生徒さん達とはじめました。 同時に「メトロノーム新聞」も発行し皆で持ち回り 編集長となり、なんでも書ける音楽情報掲示板を目指しました。 この名前をつけてくれた当時の皆さんも大人になり、 新聞も今はやっていません。20年経って少し形を変えて もう一度「メトロノーム新聞」を作ろうと思いました。

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